鎌田先生

*3月5日鎌田先生の講演と医師会合唱団コーラス*
この寒天、利益はチェルノブイリ救援活動に寄付されているそうです。健康に良し、寄付も出来ると一石二鳥
「昨日、中南米から戻ってきました」さらりと仰る鎌田先生。それで翌日、小田原で講演と言う強行軍にもかかわらず 迫力ある感動的なお話でした。全ては書ききれませんが 備忘録としてのさわりを。

かっての日本は強く温かく優しい国
7年ほど前から 海外で目にする電化製品はだんだん韓国製が幅をきかせ 今やサムソンがほとんど。 中国製品も進出。電化製品のみならず車もヒュンダイが目だつようになり、品質を誇っていた日本製品は価格の面でも競争力を失い、弱い日本になってきている。

貿易立国として強くなり 若者の雇用を広げていかねばならない。経済活性化のため、1400兆円の貯蓄を回転させる。また温かい気持ちを回転させると連鎖して良い結果につながる。例としてあえて夕張市に工場を建設した津村順天堂をあげられました。夕張市民の雇用促進につながり、市民と共に工場があるとのこと。

空気を読まないことも必要
日本は空気を読みすぎる、即ち顔色をうかがいすぎる傾向が多いにある。空気をかき回し 新鮮な空気を送るのは抵抗が大きいけれど必要。 

例は 四国のある学校の校長先生が 子供達をみていて 「弁当の日」を提案(その日は自分でお弁当を作って持ってくる日)大きな抵抗勢力にもかかわらず実現。包丁のない家庭もあるそうだが その子達には家庭科室を解放する案も。出来ない理由はいくらでもあるけれど どうしたら実行できるかと言う視点に立つことが大切。

弁当の日には テーマがあり、旬の物を使う、残り物で作る、大切な人に作るなど。これによって子供達に変化が見られ活き活きし、色々なことに目を配るように、心を配るようになっているとのこと。

支援の仕方
先生は、1991年よりチェルノブイリへ医師団を派遣し約14億円の医薬品を支援。2004年にはイラク支援を開始し、イラクの4つの小児病院へも毎月薬を送り、難民キャンプでの診察等もされています。

支援を始められた頃、白血病で死と向き合う少年を 母親の切なる願いで日本での治療を考えられた時、現地の女医さんに止められたそうです。

「一人だけを連れて帰っても解決にはならない。私が一生懸命勉強するから 私を信じてその術を学ばせて欲しい、そして薬を私に預けて欲しい」持続可能な支援とはそう言うことだと納得され 一生懸命伝授され、その少年は元気になったそうです。そして何人もの子供達がこの女医さんにたすけられているとのこと。

まだまだイラクの臓器移植の話などありますが 長くなりましたので 又の機会に。