[暮らし] 人生は砂時計のようなもの

なぁ〜んも したくない!けれどお腹は空く・・・カボチャの中に玉ねぎとベーコン、冷凍してあったホワイトソース、チーズで丸焼きグラタン、オーブン稼働 暑いけれど 任せておける。隣の部屋に退散。あとは、使わねばならないニラでニラ玉、庭のミニトマト、しっかり動いて しっかり食べる同居人のお陰で 私も栄養補給できます。一人だと どうなるのだろう?メニューも行き当たりばったりだけど まぁまぁ美味しかったよ。

若い時に読んだ本、当時は、自分のものとして感知することができていなかったなと改めて思う、フランクルの「夜と霧」。NHKの日曜朝5時Eテレを録画して「こころの時代」を観ています。
私と同年のロゴセラピスト勝田芽生さんのゆったりとしたお話しぶり、ドイツでの音楽療法でのご活躍など素晴らしいです。

人生とは砂時計のようなもの、上の部分は未来、細くくびれて砂を少しづつ通過させる部分が今の瞬間、下に落ちた砂の部分は 固定され保存されている過去とフランクルは例えています。加齢とともに 未来の部分の砂はどんどん少なくなっていきます。それを察知して、私たちは嘆き焦りを感じたりします。

今を通過できる砂は、多くの中から選ばれたもの、人生も同じで この瞬間も何をするかによって過去として残るものが形成されていきます。なんかハッとさせられる気づきでした。若い時は、こんなふうに深く考えなかったし、実感もなかった。さらっと読み過ごしたけど、なんとなく記憶に残っていた本、またこんな機会に出会えてよかった!

砂時計のくびれた部分が今、現在、自分の意思によってどんな体験を過去として残してゆくのか・・・無駄にはできないな〜!