アメリカ民主党予備選挙

修善寺の竹林、筍から変化して すくすくとした青竹に
アメリカでは、11月の大統領選挙に向かって、民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙が 終盤を迎えている。  5月20日、ケンタッキー州オレゴン州で 投票が行われた。  この結果で予備選は終結すると見られているのだが、 超逆境に追いやられたヒラリー・クリントン、最後まで戦う決意を翻していない。  イギリスのサッチャー元首相は鉄の女(Iron Lady)と呼ばれたけれど、ヒラリーはそれ以上のIron Ladyぶりを発揮している。


共和党は、早々とマケイン氏を 大統領候補に決めた。 一方、民主党の大統領候補選びは、終盤まで混戦模様。   戦いの中盤で、相手候補非難する応酬(Negative Campaign )で醜い戦いとなった。  ヒラリー氏の舌鋒は鋭かったが、そんな相手の誹謗中傷作戦が プラスに働かないと察知し、あら探し的な論戦を控えたものの 結果的には、オバマさん評価が高まったように感じる。


この選挙戦で 興味深いのは 両候補の支持者層が 綺麗に塗り分けられていることである。  ヒラリーさんは 高等教育を受けていない白人層や、ヒスパニックの有権者に押されている。  これらの有権者の大多数が低所得者層に色分けされる。  その一方、オバマさんは黒人層はもとより、教育レベルの高い、リベラル層に支持されている。  クラスで云えば富裕層となるだろうか。


このような支持者のプロフィールは、CNNやNYタイムスなどみていると マスコミを通じて 赤裸々に伝えられている。  マスコミがハッキリと国民の教育レベルや、富裕度で国民を色分けしている。  日本であれば、せいぜい地理的な要素、「都市部住民と農村山間部住民」ていどで止め、格差を意味するような表現は 控えることでしょう。


この二人の大統領候補者は、アメリカの大統領選挙には初物づくしである。   オバマさんは、初の黒人候補であり、ヒラリーさんは初の女性候補である。  そのため、「人種差別」(Racism)とか「性差別」(Sexism)の観点からの評価が 目立つように思う。  こうなると、マニフェストなどとは無関係に「人種」や「性別」といった感情で国の将来を担う人物を選んでしまう危険がありそう!


オバマさんの基本戦略は「変化」である。  変化(change)は改革(reform)との同義語のように感じる。  オバマさんは「アメリカの今までのやり方を変えなければいけない」と、その主張は、終始一貫している。  一方、ヒラリーさんは、子供の教育、国民皆保険、諸物価高騰の対策として、ガソリン税0の期間を作るといったような 具体的な提案をしている。


アメリカは、ブッシュ政権の8年間で、出口の見えないイラク戦争に疲弊感が強く、この戦略が間違っていたのでは・・・?ッという感が強い。  この感情がオバマさんの「変化」を訴える姿勢に魅せられるようだ。  ヒラリーさんの訴えは具体的である一方、短期的な効果をねらった 短絡的かつ人気取り戦術であるとも コメントされている。


オバマさんは、ケンタッキー州には姿を現していないという。   メディアによる選挙活動(テレビ)に頼る作戦をとった。   この州はヒラリーさんの圧勝で終わるという下馬評があることと、何処に焦点を置くかの戦略の一つでもあろう。


アメリカの勝負感として、明らかに負けると分かっている戦いに 勢力を費やす努力はしない。  重要な選挙区で大勝すべく、作戦の選択と集中戦略を展開する。  オバマさんは既に11月の大統領本戦に向かい、共和党、マケイン候補との一騎打ち対策に照準を合わせた。


変化といえば、5月18日に投票が行われた 小田原市市長選挙でも「変化」をキーワードにして戦った若手の新人、加藤憲一氏が 二人の対立候補を大差で破り当選した。  小田原市も16年続いた現市長体制がマンネリ化し、ご多分に漏れず多額の借金(1500億円)を抱える市財政となっている。  25%を超える高齢者人口を抱える20万都市は 従来の考え方を変え、変化、改革が求められている。


アメリカも、小さな地方都市小田原も 奇しくも行き詰まった行政の舵取りを 変える時期にさしかかっているようだ。  小都市小田原の選挙戦はすでに決着がついたが、現在進行形のアメリカの動きと重ね合わせてみると面白い。


候補の一人は選挙戦で対立候補にたいし、丁度アメリカのNegative Campaignとされる戦法もあり、 鵜呑みにした有権者もいると聞いている。  しかし、結果は 信念を持って「変化」を政策の柱に戦った対立候補の圧勝で終わった。 3人の候補者があったからこそ 私達は より一層、色々照らし合わせ、真剣に考える機会をもち、 前回より10パーセントも高い投票率になった事も否めないのではなかろうか?  その結果、停滞する地域社会の行政に「変化」をもたらそうという、誠実な44歳の若者に、自分たちの将来を託したのである。