もう一つの偶然

今回の帰阪、 殆どそのままの状態になっている母の遺品を整理するため。  今まで、何となく躊躇していたのだが・・・ 色々な思い出を脳裏に描きつつ 大雑把な段取りをつけた。


母の着物をみていると 戦後15年、ようやく英会話レッスンがテレビでも放映されるようになった頃、 父の海外勤務に伴い 一家で過ごしたオーストラリアでの生活が思い出される。


華やかな生活の反面、まだ日本の食品も殆ど無い状況下で 母は日本からの著名な来客にも ありとあらゆる日本料理を作ってもてなしていた。  外食は考えられない時代でもあった。  大きなお魚のうろこをとり さばいてお刺身をつくり・・・そんなお料理は 戦後15年の日本では、自分ではしたこともないだろう時代 大変だった事だろう!


パーティには いつも着物を着て 大体聞かれることは決まっているので 英文を懸命に暗記していた母。  フル活動、頑張ったねと、当時の着物に話しかけた。  日本が海外にビジネスを広げていく始まりの頃で 日本と言う国はインドネシアの中?とか 聞かれたこともあった時代だったなぁ〜! 


着物から派生して色々な想いが浮かんだ。 病床の叔母(母の妹)のことを 母が最後の頃、とてもよく話していた事もその一つ。 ちょっと遠いけど、お見舞いに行ってこよう!  昼食を途中で済ませてからお見舞いにと 三番街で「何にしようかぁ〜? これもカロリー高そう〜!」なんて、みていると ポンと肩をたたかれた。  なぁ〜んと! 驚いた事に従妹のAちゃんだ!  こんな広い大阪で ばったり会うなんて・・・  


しかも、その少し前 エスカレーターで私の前を 足早に追い越していくピンストライプスーツのキャリアーウーマン風女性、 あれぇ? Aちゃん?と、ちらりと思うほど似ていたが別人(その女性は 少し貫禄がありませんでした.。 Aちゃんは 某大手銀行の元課長さん) Aちゃんの事を思ったその5分もしない後に 今度は、本当に、ご本人に出会ったのだから不思議。  


しかも、Aちゃん、 物持ちの彼女なのに その日は 偶然にも 私がたった一つプレゼントした 手製のそのビーズのネックレスをつけてくれていた。  つける時ちらりと私の事を思い出してくれたとしたら テレパシー? 時間に余裕が無く ほんの5分ほどの立ち話。  でも、何か不思議な縁(えにし)を感じた。  大げさだよ!っと言われそうだけど これも年を重ねたせいなのか 感激してしまうのだよね。


N叔母さん、 にこやかな笑顔。  母にそっくりで 側にいると心が和んだ。 おやつのチョコレートプリンの食べ方まで似ていた。  お話しするのは難しいが 何でもわかっておられる様子。  矢張りお会いして良かったな!  妹に話すと、彼女も「N叔母さんのお見舞いに行く前に Aちゃんに出会うなんて、何かシンボリックだねぇ〜」と、感激していた。


画像は 母のレトロな47年前のシルクドレス。 ドレープとフレアースカートの美しいカスタムメード。  母は社交ダンスが上手だった。 どうしても思い切れない母の持ち物のひとつ。