(余談ですが、ガラスの事、ギヤマンて言ったんだよっとマッスル君。ほぉ〜!知らなかったよ。調べてみると、オランダ語のdiamant,ダイヤモンドのこと。 ガラスの切削にダイアモンドを使用したので 切って細工をしたものをギヤマン、更にガラスそのものを指すに至ったと広辞苑にありました。ありがとう。マッスル君)
深いほうの器には 冷たぁ〜いおそうめんに萌黄色の小さなもみじの葉をそえて・・・平皿には 冷たいお茄子に紫蘇もいいな。これらのガラスの器、先月、近くのギャラリーで求めた安土忠久さんの作品。 初日、作家さんも来られていました。この何年かは、結婚記念日に、何か記念になり 日常楽しめるものを求めることが続いている。
日本の器は洋食器のように規格サイズではない。形状も様々。焼き物となれば 外国人の目から見れば失敗作?っと誤解されるものがべらぼうに高価だったりする。盆栽、庭園など左右対称ではない美意識は 和辻哲郎の「風土」(だったかな?)に この日本の自然環境の中から生まれた必然的なものだと述べられていた記憶がある。
先日読んだ外国人の書かれた記事に 最初、日本の陶器の良さを 皆目、理解できなかったが ある日、ためしに買ってみたら その形状が不自然、不完全であるがゆえに 叉次の品を求めたくなったと書かれていた。 そして、それがだんだんエスカレートして ついにはコレクションが出来るほど増えてしまったとも。 西洋の食器は完全な形ゆえ、ある程度そろえると満足して限界があると言われている。
完全性を求めたくて 次々欲しくなるのではなく 完全でないゆえ、飽きが来ないというのが日本人の感覚だと思うが その方も、その個性ある和陶器をとても大切にされているようだ!
お話をガラス器にもどすと、かって、季節の移り変わりを意識して、ガラスの器にすだれや蚊帳が生活に加わると 私達の心に夏到来と言う意識が備わりましたね。
これも文化の違いでしょうか? 北欧の友人は(アメリカ在住)「私達は冬のあいだガラスの器に反射する灯りや光をみて太陽だと思うのよ」と、はっとするようなコメントをしてくれた事がある。太陽の明かりを恋しく思う北国のガラスの器の役割は 涼を求める私たちとは違う文化の一面なのだろう。