「あの頃は貧乏だったけれど、幸せだった」と夫は、朝のコーヒーを楽しみながら独り言を言った。 その目はどんどんエスカレートするイジメについての新聞の記事に吸い寄せられていた。
以前買った「貧乏だけど幸せ」と言う本が本棚にある。 昭和25年から35年までの 生の生活を映し出した写真と解説集。 皆生きる事に精一杯だけど 目が活き活きしている。
夫談 「終戦から5〜10年、みんな貧しかった。 学校ではイジメや喧嘩は日常茶飯事。 学校の帰りに近くの神社に呼び出したり、待ち伏せしたり。(えっ? 呼び出されたり、待ち伏せされたりじゃなくって?)いじめる生徒にたいして、いじめられる生徒も黙ってはいない。 まるでゲームをするようなおおらかさがあった。
すぐに取っ組み合いの喧嘩となり、擦り傷や鼻血をだして家に帰ったものだ。 あの頃は、イジメというのは肉体をぶつけて闘うスポーツだったのかも知れないなぁ〜!
家の食事は貧しく、いやだったけれど、家族みんなが食卓を囲んで食べたことが懐かしく思い出される。そんなとき父親は「今度は負けるな」ぐらいのことしか言わなかったなぁ〜!」 夫の回顧的な朝の談話です。
私の子供時代も 何かのオケージョンで本当に稀に小エビフライが食卓にお目見えする事があった。 要領の良い妹は 何時もぱくりと 小エビフライのしっぽまで綺麗に食べ 何匹食べたかわからないようにする生活の知恵があった。 弟と私はいつもしてやられたり。
冬の日曜日は 決まってすき焼き〔今のすき焼きとは 程遠いもの)か湯豆腐。 鍋物だけは 父が目の前で作る事になっていた。 今考えると、ぞっとするのだが 最初、父は牛脂でお鍋をこげないようにこすりつける。(本当はお肉が少ないので お肉の香りをしみこませるためだったそうです) その牛脂を我ら姉弟3人は食べたくて 上にのせられるほんのお出汁程度のお肉やお野菜に惑わされぬよう じっと父の菜ばしの行方を眼で追う。
「さぁ〜もう食べて良し」と父が言うと キャ〜キャ〜言いつつ、3人のお箸が お鍋の中でけんかする。 父母そして当時同居していた従兄のRさんは またかぁ〜っと言う顔で笑っている。 外では臭いをかぎつけて 犬のぺリがワンワン。 この日は 父がぺリにも すき焼きの残りで 飛び切り美味しいおじやを作ってあげるのだ。 パブローの条件反射のワンワンなのである。 古き良き日、母は苦労していたようだが 幸せな団欒があった。