言葉とpersonality

本日は、最近出席した2つの勉強会で共通して出た話題ですが 在日中の外国人のお話から 日本語は受動態で話すことが多いですね。とのコメント。

そう言えば、英語では なるべく能動態を使いましょうと 在米中、受講したクラスで何度か注意を受けたことがあります。 誰がどうしたと明確、且つ論理的な言語ゆえ 能動態にすると主語が明確になりすぎ ミィーティングなどでは ガンガン切り込んで話し合うので戸惑いを感じたことがよくありました。

在日中のその方たちの話では、受身で話すと 相手を責めるのではなく 自分に意識がむくので(例えば 自分がぼんやりしていたから〜されたというニューアンス)自分がだんだん優しくなれると言われていました。 余り、日常気が付かない視点だったので ちょっと新鮮なコメントでした。

私は、英語を話している時、ちょっと気恥ずかしい事でも口に出来ることがあって、自分でも日本語なら言えないなと苦笑する事があります。 そんな話を言語学の先生に話したら、「それは、その英語がきちんと身についていないのかもね」とのこと。 要するに実体験とその言葉の感覚がぴったり一致していないらしいのです。 not socially internalizedと、言う言い回しをされ 妙に心に残っています。

本日、エコカー初ドライブ(助手席です)私は、パソコンでもそうですが 変化に対応するのが億劫な怠け者なので 自分で運転するのはいつの事になるでしょうか? 便利になりすぎて ボタン一つで操作したり 色々画面にでたり 気が散ってしまいそう。 あいにくの雨模様なのでお昼ごはんを食べに根府川まで。 本当なら 母の命日も近いのでビュ〜ンと大阪へお墓参りの予定でした。