75年の時を経て

「あの兄が存命だったら きっといい所まで上りつめていたとおもうがなぁ〜」  ぽつんとが何十年も前に言った言葉がよぎりました。  先日、母の一周忌で帰阪の折 義妹が 「こんな本が 出てきました」と渡してくれた140ページほどの一冊の本。  それは 父の長兄の遺句及び遺稿集。 知己の方々が追悼記を添えて昭和7年に刊行してくださったものらしい。 


29歳の若さにて 妻と一才の息子を残し無念の病死。  大学時代から詠みはじめた1200句余りからの抜粋200句と 哲学的な散文が セピア色の紙、古いちょっとかび臭い印刷のにおいにまとわれていた。  勿論、私はこの方に会ったこともない。  父は3人兄弟で末っ子。  10歳ほど年下になるのだろうか。  


父方の祖父母にも残念ながら 家にあった肖像画と写真でしか面識がない。  父は寡黙な人だったので 余り父の家族についても話さなかった。  早くに親、兄たちを亡くし 辛い思いを秘めて 皆の分まで頑張った強い父であったと思う。  


俳句の中に出てくる弟とは父のことだろうか? あらぁ〜! こんな家庭環境で父は育ったんだ など、 タイムスリップして 眠っていた扉をあけるようで 夢中で読みました。  何か血のつながりを感じるとでもいうのでしょうか?  同胞意識に包まれ ノスタルジアを感じてしまいました。  また、私自身の根が伸びて安定の境地−これは、アメリカ人が年老いて ルーツを求める気持ちに 匹敵するのでしょうか?  


面識のない祖父のきっちりしたあいさつ文に 厳格な肖像画のイメージがぴったり重なりました。  その祖父が詠んだ無念の追憶の句  春嵐29年を散らしけり  75年の時を経て 私の手元に届いたこの遺稿集 大切です。