Assisted Living in USA

話は前後しますが アメリカを発つ前日、仲の良かった友人をナーシングホームに訪ねました。

緑美しい公園、色とりどりに咲き乱れる花、ダウンタウンからもそれほど遠くなく 彼女の家からもほど近い場所。設備が整い、お世話する人々もてきぱき働き、優しい言葉がけもされています。

昨年音信が途絶え、案じていました。やっとのことで居場所が分かり、幸い滞在先のホテルからも近かったので 訪ねました。

部屋はアパートのようになっていて 彼女がかわいがっていた猫2匹、優しそうなヘルパーさんと同居です。3年前、彼女の自宅に訪ねたときと雰囲気は同じです。

奥の部屋で 彼女は車椅子に座りテレビをみていました。元気そうな姿に嬉しくなって 思わず名前を呼びながら駆け寄りました。

何てことでしょう!こちらを向いてくれません。近くによって顔をのぞき込むと「誰?」っていぶかっているようですが、表情は石のようにかたく 言葉はありません。じっと凝視して 口元が少しほころびましたが 私を認識できませんでした。

ヘルパーさんが 私を見て「そうなのよ」っと 気の毒そうに頷いていました。もうお話しも余りしないと云うことでした。

あんなに活躍していた彼女が。。。その夜は、彼女の顔が何度も浮かんで眠れませんでした。年月の過ぎ去ったことを痛いほど認識した アトランタでの友人達との再会でした。

それでも、寝たきりではなく、また、ジャージではなく鮮やかなローズ色のシャツに きちんと折り目のついた黒いスラックス、髪の毛もカールが綺麗に整えられ、お化粧もヘルパーさんがしてあげたのでしょうね。女性としての身だしなみがありました。

部屋の中には ペットの猫2匹、家具の一部もそのままです。同じフロアーには 美容院もネールサロンみたいなものもありました。彼女が大切にされていること、少なくても見た目は以前よりも元気そうで苦しみがなさそうなので 安心しました。

次回訪れるときは 彼女から「私にしかあげられないプレゼントなのよ」と、8年前帰国のおり、頂いた小さな伝説のマスコットを持参しようと思います。

余生をどのようにと言う問題は 今回のアメリカ滞在中、どの友人からも話題の筆頭でした。家族のありかた、場所選び、何を縮小するかなど 現実問題として真っ最中の友人達でした。日本との違いなど 又機会を作って更新したいと思います。