寄付

入学式を迎える春が近づき ランドセルが画面に映ると タイガーマスクを連想している自分に苦笑している。

国会答弁も確固たる進展もなく 活気が見いだせないでいる日本。しかし、サッカーアジアカップ、日本選手の最後まで信じて闘う姿勢に感動。また、タイガーマスク現象にも ほんわりと温かさを感じている。

過日、寄付金の各国事情について報じられていた。確かに、寄付金は宗教、社会的な国民の意識、そして税制上の問題などで 各国の状況が違ってくると思う。

ジニー係数が高いアメリカでは 小さな政府志向のため、医療保険制度などみても 公的な福祉面を機能させるのは なかなか大変のようである。所得の再分配を 様々な形式での寄付に頼っている部分もあるのだろう。金銭でなくても、救世軍へリサイクル品を季節の変わり目などに持参したり 集荷をお願いする家庭が多い。

寄贈者名のついた建物や施設、奨学金などが多いし また、大学の卒業生には 毎年寄付依頼の手紙が届き 誰がいくら寄付したなどの冊子も送られてくる。

密かに善意を行うことを美徳とする日本の文化と違って 勤勉と努力による財産追求で富を得ることは アメリカンドリーム。成功者が公に名前を出すことで 非難されることよりも 尊敬されるんだと アメリカの知人に言われて 文化の違いを感じた。

冒頭のランドセル寄贈の輪が広がり、若い人達が 自分たちに何が出来るかと考え、余暇に勉強を教えに行ったり 共に時間を過ごしたりするボランティアのことも紹介されていた。温かいripple effectを起こしていると思う。