二つの祖国

少し前の事になりますが 48年間日本に滞在し、80歳を迎えられ、祖国アメリカに帰国される事を決意された恩師のお話です。心情的には このまま日本での生活を望まれているのですが 色々な点を考慮して今なら、まだ自分の力でこちらでの生活をたたんで アメリカでの生活を再スタートさせられると決断されました。

48年前、日本については 余り詳しい知識もなく 3年の契約で英語教師として来日されました。中、高、大学の授業を受け持たれていましたが 最初の印象として 生徒は皆、下を向いていて アイコンタクトもなく 理解しているのかそうでないのか把握するのに困られたそうです。アメリカでは 質問攻めにあうのに 皆黙っていて これまた苦労されたとのこと。

来日されて1年過ぎる頃、この国をとても好きになられ 「3年の契約でなく 永続にして下さい」と アメリカの本部にお願いされたそうです。その時、「1年目は良いところばかり目について ハネムーンのような物だから よく考えた方が良い」とのこと。3年契約が切れる頃、気持ちが変わらずその後 トータルで、約半世紀滞在されたことになります。その間、数知れないほどのボランティア活動もされています。

決断したからには 「アメリカでの生活を楽しみに出来るようにしています。何がこれから出来るか・・・。日本語を忘れないために 講演や礼拝でのお話を録音した物を沢山用意しました。膝の手術を受けて テニスはしませんが 快活に動けるようになりたいです」(両膝だとリハビリ兼ねて)1年かかるそうです。等、前向きな姿勢に 80歳というお年は感じられません。自立してご自身で 余生をデザインされていく決断力は とても鮮やかです。

全てお見通しと思われるような毅然とした厳しさ きちんと筋道を通さないとじっと見つめられ、萎縮してしまいそうになった学生時代の頃の先生は 美しく年輪を重ねられ まろやかな優しさが加味され お若い頃よりも もっと美しく感動しました。黒いオーバーに緑がかったトルコブルーのマフラーを格好良く巻き、すくっと立ち上がられた長身でスリムな先生、「でもね、reverse culture shockがちょっと怖いのよ、sunflowerは どうだった?」っと 可愛く微笑まれました。

母国よりも長く生活された日本は 第2のふるさと。心の中で2つの祖国を大切にされ、余生を楽しまれんことをお祈りします。