寒空に 凛と向かいて 梅の花
このところ、朝、水槽に氷がはっています。冬が陣取っている感じですね。きりっとした寒さは 山々がくっきり頂をあらわし、うっすらと雪化粧をして 春霞とは対照的です。寒いけれど、カレンダー通りだと どこかほっとするところがあります。我が家のレモンと梅・開花近しミモザ
今年は EMぼかしのお陰で レモンの皮が薄く、小さめながら上出来です。でも、種が多くて レモンティにはちょっと遠慮してもらいます。紅梅、白梅と花をつけ、緑の葉が出る前に咲く花は 矢張り春を告げる花。ミモザがふっくらふくらむ頃は 周りが艶やかになります。黄色は遠くからも一番目立つ色だとか・・・踏切に使われているのは 遠目にくっきりだからそうです。春らしい?一品
この器も辻嘉一特選和食器シリーズのもの、和え物、煮物などサイズが手頃で重宝しています。分葱、わかめ、えびのぬた。ほっとする一品でした。過日読んだ ざっくり日本史 斎藤孝著という本の中で 明治維新とともに 取り入れた外来語や異国の文化、概念について書かれていました。外国の文化や概念を表現するのに 新たな意味合いを含めて翻訳語が作られた画期的な時代です。例えば、「幸福」「社会」「権利」他沢山の例が本の中であげられています。
福沢諭吉は 権利、英語のrightを「権理」と翻訳していたそうですが その後、いつの間にか「権利」の方に変わって今日に至っています。権理と権利、理由があるという福沢諭吉の概念の方が 堂々と主張できるのではないか 利は己の利益を主張するイメージがありそうで遠慮してしまう傾向もあるのではないだろうか?と述べられていました。
私は、逆に、昨今の物議を醸し出している政治家は 権利を乱用して 己の利益を主張することに正当性を見いだしてしまったのでは・・・漢字の個々のイメージ解釈、ないようでありそうな気がしました。