Interment(埋葬)

しばらくブログ更新お休みしていました。 体調を悪くしているのではない?とか もしかしてオバマ大統領の就任式に招かれた?という有り得ない冗談の問い合わせ等もいただき ご心配おかけいたしました。 

その記念すべき 1月20日、私達はハワイのPunchbowl 墓地(National Memorial Cemetery of the Pacific)と言うホノルル市外の火山の火口で、私達の大切な知人の埋葬式に参列していました。(ここは軍関係の方しか埋葬できないそうです) 

詳しい事は後日記載する事にして 昨夜、無事帰国したご報告と その日の画像を更新しておきます。 本当にささやかだけど心のこもった埋葬式、そして式の前後日程の3島巡りの冒険、民族の伝統色などを体験して 温かいカラフルくっきりのハワイから 対照的な寒いけどしっとりとして色彩を押さえた墨絵の世界の美しい日本にもどりました。

Lady Columbia像、116エーカの墓地、そしてホノルル、ダイヤモンドヘッド、パールハーバーが一望できるロケーションに母親像のシンボルとして
ここからは、追記になります。
マッスル君が留学時代よりそして私達家族も大変お世話になったご夫妻の納骨でした。 ご主人は20年位前に他界されましたが 奥様の方は1年余り前93歳でなくなられ 二人のお骨をハワイに埋葬して欲しいとの願いでした。 お子さんがいらっしゃらないので 甥ごさん、姪ごさんご夫妻が オハイオ州からこられ 私達夫婦と6人での埋葬式でした。

マッスル君は 自分が今日あるのはこのご夫妻のお陰と大変感謝しています。 私達が結婚してからも倒れられる直前までの35年間、2人の誕生カード、結婚記念日、クリスマスのカードは欠かさず送って下さって 継続すると言うことの大切さを年々感動で受け止めていました。 アメリカ在住中は実家に戻る気分でオハイオのお宅に何度も寄せていただきました。

この国立墓地は軍関係者及びその配偶者のみと聞いていましたので 何故ここに?と当初疑問に思いましたが 若いときにはarmyだったとのこと。 太平洋戦争のことなど マッスル君は自分への配慮で話さなかったのではないかと理解しているようです。

ご結婚され、しばらくはこのハワイで生活をさ、後にオハイオに移り そこで薬剤師だったこともあって薬局の経営や病院での仕事に従事され ロータリー倶楽部の地域の役員として 宗教、年齢、人種などの偏見を持たず 数多くの人々のお世話をされてきたのです。

私自身、今までに4カ国で住んだ経験がありますが 国家間の外交は大切な事、言うまでもありませんが 個人レベルで受けた民間外交の数々は短絡的に物事を測る物差しのむなしさを痛感させてくれます。 そしてその温かさは いつまでも心に残っています。私達は直接その方たちに恩返しが出来なくても 自分達の出来ることをしてその輪が広がってゆけば良いなと言う気持ちでいます。 

物悲しいパ・パ・パ〜ンという いつも流れる音楽とともに 国旗が広げられ 叉儀式にのっとってたたまれます。
そして、この国旗は関係者に授与されます。しっかりと目を見て挨拶をのべ手渡された国旗です。Remarkと言って 亡くなられた方の経歴、エピソードなどを述べるのですが マッスル君も上手にまとめていました。 このあと、納骨する場所に移動し 納骨をすませ そして 思い出話をするためにランチへ。 (続きます)