大阪で体調を崩して ごろごろしつつ読んだ本。 体調は悪いのに 言葉が不思議と琴線にふれて す〜ッと身体に入ってきます。 体調が良く、自分がつぱっしている時には感動はしても どこか頭の中で素通りして読んでいることがあるんですよね。
「ひめゆりの塔」「ゴンドラ」など 多くの名作に携わり、今、尚90歳にして 現役で映画照明技師として活躍されている渡辺生氏の対談から「月刊誌致知より」
[照明と言うのは ただ明るくすればいいってもんじゃない。 (影)を作り出すのが照明なんです。・・・影があって初めてその情景が生きて来るんだ]
月影は 月の灯りの事と以前のブログでとりあげています。 その時、大変印象深かったので この渡辺氏の言葉に対して敏感になれたのでしょうか? 心の中の引き出しが自ずと開いた感じです。
「もって生まれた顔や容姿が目に見える光の部分だとしたら 表情や言葉の中に隠されたニューアンスをこちらで感じ取るのが 影の部分、それが人間の持つ光と影だよ」 何とも含蓄のある言葉!
渡辺氏は15年間アルツハイマーを患われた夫人を 仕事をやめて介護されたそうですが 「その時大切なのは 気持ちの切り替え、 そして矢張り 患者さんを一人の大人として 一人の独立した社会人としてみていかなくては・・・」っと語られています。
夫人の日々の症状変化を正確に医師に伝えるべくビデオをまわされていました。 後、これが 「おてんとうさまがほしい」と言う題名で映画化され 現在の介護制度への先鞭をつけたといわれているようです。
過日、アメリカでのケアーセンターを訪問して感じた事を 確信した気がします。 「介護は資格なんかじゃない。 心なんだ。 マニュアルどおりやっていると、一面的な接し方しか出来ない。・・・この人の場合はどうしたらよいのだろうかと 自分の頭でよーくかんがえなければいけない。 同じ病気でも一人一人違うんだ」
ここで ちょっと意味は違うかもしれませんが 芯のあるフレキシブルな心 「柔軟心成就」(呉音でにゅうなんしんじょうじゅと読むそうです)が ふと浮かびました。 これはお寺の住職である叔父が 母の一周忌で話してくれた法話の中にでてきた心に残った言葉です。
叔父のJ寺便りに詳しい説明が載っていましたので 意味の部分だけ引用させていただきます。 「・・・中に力を秘めて何事にも対応可能で物柔らかではあるがその本質を失わぬ弾力性に富んだ心です」
面白いように 心の引き出しが開いてまるで連想ゲームをしているかのように 言葉と気持ちが紡がれていった不思議な読書体験でした。 紫陽花の光と影、いかがでしょうか?