2月に他界した義父に 6年間付き添っていただいた 日系ブラジル人のKさんが お里帰りをされた。 お土産に こんなに沢山の ビーズ! 義父の49日の法要以来(3月末) お目にかかっていないのに...お心にかけていただき 恐縮している。
義父は 大変しっかりした人で 身体の不自由はあったものの 99歳まで 自分の歯で 何でも良く咀嚼し 好奇心も人一倍 持ち合わせていた。 食欲も旺盛で 身体も大きく 世話する人にとっては その自由の利かない身体を 起こしたり 移動させたりする事は 至難の業。 何人ものヘルパーさんが 続かなかった中 このKさんが 忍耐強く 6年間 義父始め 入れ替わり立ち変わる 私たち身内の者とも 打ち解け 最期まで見て下さった。
日本語も めきめき上達され 食事日記、簡単な介護記録も ひらがなが多いが 日本語でつけられていた。 時間があれば 公文教室で 日本語を勉強されていたようである。 独特のアクセントにも 例えば ブラジィ〜ル 私たちも そのうち慣れ 違和感を感じなくなった。
Kさんは 最初、 階段の上り下りも 大変そうなくらいの ふっくらさん。 毎朝、毎夕 義父の住む 坂道の多い多摩丘陵跡を 車椅子を押しつつ 散歩を日課としてくださったので 義父の機嫌もよく 叉Kさん自身の ダイエットにもなったようだ。
今、介護にブラジルから 来日している人が多いと聞く。 真偽の程は定かではないが 3年間、日本で働くと(介護の種類にもよるでしょうが)ブラジルで ちょっとした家が建てられるとか...でも、介護の資格を取り そこに至るまでの苦労は 並大抵ではないと思う。
文化的な違いなど 生活様式に 互いに戸惑う事もあったようであるが 時折、 交代で手伝う程度の私たちには 微笑ましく見えたものだ。 単刀直入に話す Kさんの 潔さが 懐かしい。 良く気がつき 積極的に 義父の世界を広げてくださった事は 最期まで 義父が人生を楽しめた事に つながったと 感謝している。
頂いたビーズは この頃奥の方に しまってある 私の趣味の箱を そろそろ取り出しなさいと いうことかな? 色々組み替えて 叉アレンジしてみよう。 そして ビーズの楽しみを教えていただいた サザンベルの方々にも もらっていただき この遠来よりの石を 活かせたら嬉しい。