別れ

      


6月29日午前7時 母が 永久(とわ)の眠りに 安らかに旅立ちました。  存命中、 お心にかけていただいた皆様 有難うございました。  亡くなる数日前から 既に他界した父が 側にいる、 最後まで 母の介護をしていただいた ヘルパーのMさんに お礼を言いに 父が来ていると言っていました。  父にエスコートされ 旅立った母の 葬儀、初七日を済ませ 帰宅しました。  放心状態から 少し目覚めた所です。


母の実家は お寺です。 旅立ちに当たり、母の弟、 即ちそのお寺の住職から 淑徳院釈麗光という 法名をいただきました。 一寸名前負けしそうですが 命名にあたり 私たちも参加することが出来 母の面影が偲ばれる この法名を 残された家族で 最終的に選びました。


しきもの、美しきことにあこがれる ロマンチスト、 夢見る夢子さん。  娘時代は バレーやピアノを趣味とし 外国映画のロマンチックな場面にうっとりする母でした。  また、は 母の俗名の一字でもあり、母が心のよりどころとした 母の生まれ育ったお寺の一字でもあります。 そのお寺の本堂で 母の気持ちを汲み 私たちの希望でもあったので 近親者と ごく親しい人たちで 厳かで 静かな ゆっくりとした 見送りができたこと 良かったと思います。


病院の先生,看護婦さんや薬剤師さんも お別れに来てくださり 周りの方々に 温かいサポートを得ていた事が 嬉しく感謝の気持ちで一杯です。  仮通夜から葬儀の終るまで お寺に(叔父宅)泊まり 普段はご無沙汰の親族と 心温まる時間を過ごすことが出来、 母が天国からこのご縁の尊さを 再認識させてくれた気がします。


母は歌が大好きで 酸素マスクをつけた状態でも 声にはならねど 口を動かしていました。  最期は少し苦しみましたが 特効薬は ゆりかごの歌、  テンポを落として ゆっくりゆっくり歌うと 息が安らぐのがわかります。  最期のお別れに際して 花を棺にいれながら 妹と ゆ〜りかごの う〜たを カナリアが う〜たうよ〜と 歌いだすと 次々と声をあわせて下さり 悲しいお別れでしたが 母の安らかな顔が 金色の本堂の神々しさに 相応しく 輝いているようでした。  


お母さん、貴女の忍耐力、気力 厳しい状況においても めげる事はありませんでしたね。  天晴れな84歳の生涯、 ご苦労様でした。  そして有難う! 安らかに眠ってください。