言葉はその国の文化 


        


’独り言’今日はインターネットの接続が悪いようで 先程から苦労している。 何時叉切れる事やら?  中途半端になったら 明日叉書き足そう。


あれぇ〜!  同じ本?  夫と私は一緒に出かけても 全ての時間を行動を共にせず 互いの用を済ませ 何時に叉会おうと言う事がよくある。  たまたま、二人とも別の本屋さんに行き、 同じ本を買ってしまった。  もっとも、 予てより 評判の本なのであり得ることだが...


論理より情緒、国語を先ずしっかり、武士道精神をもう一度など 極論すぎるところもあるが 自分の祖国を愛し、伝統を大切に そして日本人としての誇りをと言う点では この種の他の本同様 もっともだと思う。  日本を離れて生活してみると 自分が住んでいたローカルな場と言うよりは 日本全体が見えてくることがよくあり 日本の素晴らしさを認識もする。 叉、 一昔前言われた 日本人の忘れ物に 憂慮することもある。


アメリカに住んで感じた事は そんなに流暢な英語を話さなくても 話す内容が 面白ければ 聞いてくれるし 会話は続く。  アメリカでは論議が幼いうちからも 日常茶飯事。  ある時など 5歳の子供が もう寝なさいと言う母親に 如何に今、ビデオを見ることが大切か 彼女なりの論理で くいさがっていた。 母親も「つべこべ言わずに もう寝なさい」とは 言わず 子供に いちいち論駁していた。  なるほど、藤原氏のいう 駄目な事は駄目の世界ではない。  どのように論理的にメッセージを伝えるかや スピーチのクラブは どのコミュニティでもあり 活発に活動している。 こんな社会では 言ったほうが勝ちである。  人種の坩堝と言われる 合衆国では 言葉で表現して確認するのが無難なのだろう。  意見をとことん戦わしても その場限りで 悪感情が持続する事はあまりないようである。(?) 言わぬが花 沈黙は金 と、してきた日本とは 異なる。  


アメリカでは野球やフットボールが盛んで そこから生まれた言い回しも沢山あり、 事情がわからぬ私は 随分と間違った解釈をして 苦労した。  その国の生活や風土に帰依する言葉は その国の財産だと思う。  日本でも 例えば 着物にまつわる言葉から しつける(しつけ)、襟を正す、折り目正しくなどが 日常使われる言葉となって存続している。  自国の言葉をしっかり学び 古典に親しみ しっかりとした日本人としての基盤を構築していく大切さは 否めないとしても 何年たっても英語で苦労している私は 幼い頃から英語に触れていたらなぁ〜っと思うことも多々あり あながち、小学校の英語教育はいらないとは言えない。