[ベニス] 水の都

ベニス入港は 今回のクルーズ中、最も美しい光景とのことで 楽しみにしていましたが あいにくのお天気。そして講座を受けている間に 接岸中で ちょっとベストショットは 撮れませんでしたが さすが水の都!

十字軍の時代に海運業が発達し、その独自な体制の中で 文化や経済が育まれていきました。ベニスの人々が 828年に十二使徒マルコの遺骨をエジプトから持ち出し この地に隠した一件で ベニスは有名になったということです。
サン・マルコはこの地の 新しい守護神として崇められ サン・マルコ大聖堂は ベニスの最も重要な教会となり この都市の観光名所となりました。
この画像は、また後日更新します。

ベニスには正午につき、翌日の深夜まで停泊しています。入港当日は 夜のゴンドラ遊覧を楽しみました。

小雨の中、水上バスに乗り ゴンドラの船着場へ。ゴンドラ遊覧は この地ならではこそ。また温暖化の影響で 水位が上昇が懸念されています。

伝統的な服装の船頭さんが 一本のオールで 狭く曲がりくねった運河も 橋の下スレスレのところも 見事なオールさばきで 水の都を案内してくださいます。ゴンドラ遊覧で聞こえる セレナーデの優雅な歌声も 異文化体験です。

ネオンサインもなく、灯りの色もディムライトで統一されているのか ゴンドラの揺らめきに心地よく 静寂な夜のとばりを感じます。

[続ドブロブニク] 歩きました!

私達は 朝早くからのツアーなので 最初は まだ比較的空いていて 施設も店もようやく開き始めた時間。そんな中、マーケットが沢山出店。新鮮な野菜やくだもに 思わず買いたい衝動にかられました。でも、生鮮食品、慣れない土地では、苦い経験があるので 気をつけています。

クロアチアは 通貨がよく変わるらしく ユーローが使えたり使えなかったり。この国の通貨は クーナ、1クーナ、17円です。トイレ使用は有料なので 小銭は必要。

美しい景観のみならず ドブロブニクは歴史的にも 数々の魅惑的な形跡を残しています。ヨーロッパで大流行した疫病などから市民を守るため 港の近くには 検疫所があったようです。 40日間隔離され 安全と分かれば 入国できたそうです。quarantine(隔離)という言葉 イタリア語の40という言葉が語源だと 現地の方のお話でした。

フランシスコ会修道院には ヨーロッパで最も有名な図書館、この地には ヨーロッパで3番目に古い薬局もあり、現在もなお営業しています。自然薬に人気があり、ローズウォーターなど 直ぐに売り切れてしまうようです。

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楽譜ですね?
旧市街地を取り囲む城壁、約2キロですが 急な階段の上り下りがあります。最初は1周するつもりでしたが 自己満足かそれともどこかで休んでランチにするかと迷いつつ・・・折角だからと、歩き始めました。
最初によじ登るような急激な階段でど〜んと上まで登ると、素晴らしい景観。これは来るべきだったと大満足。風も心地よく 一周すると海側と建物側の両サイドが見下ろせるようになっています。

半分過ぎたあたりで 戻って来た人たちが これからも厳しい階段がありますよ、それに建物は屋根を見るような感じですとのことで 半分でやめ、下におりました。

狭い路地にも生活が・・・洗濯物も日本と同じように外干し、スーパーもこの路地に。カフェやレストランも沢山。その中のTraditional Local Foodという看板に惹かれて あるレストランに入りました。
愛想も良く こぎれいなレストラン。どうせなら クロアチアは 新鮮魚介類が美味しいと聞いていたので 海の幸盛り合わせにしました。2人分にしても多過ぎます。無難なお味でしたが 結局半分もいただけず・・・

ちょっと高価なランチになってしまいましたが ここまで来て ハンバーガーなどは 食べたくないし 時間も限
られていて お手洗いも借りられたので 丸でした。コーヒーは美味しかったです。8000円くらいだったかな?

歩きにくい石畳、急激な階段 それほど疲れているとは思いませんでしたが 夜中に足がつり、お湯で温めるという始末。とほほ・・・・!

先ほど、ベニスに到着。雨です。夕刻からゴンドラに乗ります。

[ドブロブニク] クロアチア

今朝、ドブロブニクに 入港しました。夕方4時出港に合わせて 旧市街半日観光をして来ました。
アドリア海の端にある要塞の街、その景観美から アドリア海の真珠とも呼ばれているそうです。

朝、部屋から見た入港時の画像です。ほんの短期間の航海でも 陸が見え、そして人々の暮らしている街が見えると 心踊ります。大陸発見などの喜びは 言い尽くせないほどのものだったことと ふと思いを馳せました。
 
地震や内紛により多くが破壊されたそうですが 16世紀の石造りの町並みや城壁が 今も残っています。詳細は後日、画像とともに掲載したいと思います。
プラッツア通りは300メートリほどの目抜き通り、港についたお客さんに 街をより大きく見せようと 旧港よりの道幅を広くし 奥に向かって細くと 遠近法を用いた工夫がされています。

この通りは、かっては運河として使われていたそうで 1979年に 世界遺産に登録されました。

紺碧のアドリア海、オレンジ色の屋根と石畳、それも大理石、重厚な城壁は 多くの観光客を魅了し、今日も大混雑でした。とりあえずの更新ですが 明日から2日間ベニス、体力温存しますので to be continued.

[続サントリーニ島] 画像中心です


青いドームの教会で知られているイアの街。ここはサントリーニ島の最北端。真っ白な建物が望まれているのですが ちょっと変化を求めてピンク、パステルカラーなどの建物も近くに行くとあります。
人気の観光地とあって3つのクルーズ船観光客ほか 道路も路地も混雑。石畳の道、歩行も気をつけなくっちゃ〜!それに朝夕と日中の温度差が大きく、日中の日差しの厳しさに ちょっと閉口しました。
海を眺めて1ヶ月、この緑、花そして土がとても嬉しく感じました。黄色い花は 春菊だそうです。破壊的な火山噴火から作られたこの島、多くのミネラルを含んだ土壌、肥料いらずで 世界で最もハーブの種類が多いところだそうです。その数、6000種とか。。。
島を覆っていた火山灰と溶岩のおかげで ぶどうの栽培にぴったりの土壌を生成しているそうです。照りつける太陽と強風から果実を守るため ぶどうのつるをカゴ型に育つようにアレンジし、そのカゴの中にぶどうが収穫できるようにされているそうです。デザートワインは特に美味しいそうです。

実際、試飲させていただくのですが アルコールダメの私たちも、思わず口にしてしまいました。(イベントがありますので 後に続けます)

ちょっと横道に逸れますが 本日は イギリス人の若い女性ダイアンさん、自称大安吉日さんの落語でした。茶道華道師範、着付け教室も開催する日本通、大阪在住歴20年あまり。たわいないお話でしたが 巧みな日本語と伝統文化に精通している点、パーフォーマンスがプラス効果。ここ、3日ほど、夜のショーはお休みでした。

さて、サントリーニのお話続けます。

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ランチは海辺のレストランで ギリシャ料理のバイキングでした。ぶどうの葉で巻いた前菜、ギリシャサラダのほか 何種類かのお肉料理がありましたが ちょっとオリーブオイルの香りが強かったかな?オリーブオイルの消費量はかなり多く、そのせいかギリシャの人々は肌が美しいと言われているそうです。

かマリビーチという黒砂のビーチは リゾート地としてたくさんの観光客を魅了しているそうです。黒砂ビーチは どこか日本の海岸を思わせます。

サントリーニ島で一番古い教会

その後、断崖絶壁に位置する島の中心地、フィラの街へ。キクラテス様式とベネチアん様式が混ざり合う建造物が美しい。またこの高度からの眺望は 空のブルー、その雫で染め上げたような青い海、そしてまばゆい白い建物、まさにギリシャを象徴しているかのようでした。

フィラの街からケーブルカーで小型舟(テンダーボート)の船着き場まで テンダーボートに乗って沖合のクルーズ船に戻った頃は 長〜い1日で疲れました。

この絶壁のフィラの街まで直接行くには ケーブルカー、階段、ロバのタクシーがあるそうですが ロバがかわいそう!

[サントリーニ島] ギリシャ

今朝、クルーズ船は カルデラの陥没でできた 丸い湾内に錨をおろし、そこからテンダーボートに乗り換えて島へ。湾を取り巻く外輪山が 絶壁のようにそそりだち、その上に白い家並みが脈々と続いています。光が当たると輝き、青い空とのコントラストは まさにギリシャ国旗のブルーと白。

早朝、クルーズ船、サントリーニ至近距離に到着。湾を取り巻く外輪山とうっすら朝焼けの光景に これからの観光がとても楽しみになりました。今朝は4時半起きです。集合は6時45分。
たくさんの画像も整理できていないので とりあえずのイアの街の画像です。

8時間の観光を終えて ここは高齢者にはちょっと厳しいアップダウン。健脚なマッスル君も 足がつって、疲れて夕飯も食べずに寝てしまいました。ファミリーリユニオン、サントリーニ島での提案は なかったことに。(笑)

いろいろ記載しておきたいこと、たくさんの画像アップ、また続けます。とりあえず朝も早かったし、寝ます。明日は、航海日、そしてクロアチアドブロブニクへ。これからは比較的続いての寄港になります。

[スエズ運河] 画像ご紹介

昨日通過した スエズ運河通過時の画像です。写真では一面を切り取ってしまうので残念ですが 雰囲気だけでも。。。。

前日、こんな船が横付けになり 何人かが本船に乗り組んで来られました。マッスル君、海賊の話などあったので、ちょっと心配になって受付に問い合わせ。これは、運河通行のためのナビゲーターが乗船されたのでした。

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船は南行き、北行きと隊列方式で進み、4箇所の地点で すれ違えるようになっています。

今日は、地中海に出ていますが もっと近くに島が見えるのかと思えど 広い!島はまだ見えません。サントリーニ島の夏時間に合わせて 1時間進めて 日本とは6時間遅れです。日本が21時なら こちらは午後3時。

追記
5月5日のこどもの日、船内でも鯉のぼりが。この日はメキシコでもお祭りがあるらしく、夜はメキシカンパーティでした。ちょっとだけ参加してきました。

[スエズ運河] 早朝からカメラ持って甲板へ

画像は たくさん写しましたが まだ整理できていませんので とりあえずの画像です。写真は一面だけなので 様子があまりわからないので マッスル君は ビデオ。

今日は スエズ運河を通過するとあって 船内放送の時間に合わせて移動。地中海と紅海を結ぶ運河。昔は 全長164キロ、幅22m,水深8mの運河、今では全長193キロ、幅205m、水深24mのこの運河は ヨーロッパとアジアを結ぶ航路の短縮に 大きな貢献をしています。

決まった場所でのみしか 船舶の行き違いができないので 船は隊列して進み 反対航路の船舶とのすれ違いは4箇所で可能だそうです。本船をナビゲートしてくれるガイド船のあとを ゆっくり進みます。

運河航行中は 時速15キロ(8ノット)のゆっくり速度のため 渡りきるには11〜16時間要します。この速度は 運河の両岸を 波で浸食するのを防ぐため。

スエズ運河には スエズ運河がかかっていて これはアジアとアフリカを結ぶ大きな役割をしています。この橋は別名 エジプトと日本の友好橋と呼ばれ、日本の無償援助、施工も日本が行なったと伺いました。ここに来なければ 意識しなかったことです。橋には 日本とエジプトの小さな国旗が しるされていました。橋を通過した時、拍手が起こりました。

穏やかに滑るように進みつつ 両岸の広がる砂漠、街、など眺めつつ 時間を費やし、気がついたら 陽に当たり続け 顔が真っ赤! 二人ともぐったり疲れてお昼ねでした。画像は また整理してご紹介させていただきますね。

もう直ぐ地中海に出ます。温度はぐっと下がりました。